九州工業大学記念講堂の建物探訪
北九州の九州工業大学戸畑キャンパス内に建つ
清家清氏設計の記念講堂を建築少年してきました。
近くを通ることも多々あったが忘れていたり、建築の気分でなかったりと
先日ふと思い出し行ってみた。(モダニズム建築もいつなくなるか分からんし)
築58年になります。
建物全体としては清掃管理も行き届いており健全な建物です。
設計:清家清
用途:講堂
構造:鉄筋コンクリート造の折半構造
正面道路側に張り出す庇8mは薄く力強い。
エントランス壁面はレンガ貼りで向かいの事務棟と揃え、
尚且つ建物軸も揃えているとの事で建物本体と
エントランスがセンターから少し偏心していた。
残念ながら内部は入れずまたの機会。
北西南面の外壁、正方形グリットは建物表情が際立っており、
最後の最後で上下隣同士の各グリット内の杉板型枠が90度振られていること
に気がついた。。。
うゥゥ、抜かりないですね、極まってます。
こちらは南面。
ステンドグラスであろうガラス面。内部は優しい光が差し込んでいるのかな。
清家さんのモノクロ写真集で見たときは東西に確か傾斜地だった記憶があるがキャンパス校内整地整備かでかさ上げされていた。
こちらは東面。
建物構造がそのまま外観となったこの建物の象徴といえるべき折半構造の壁面。
各谷は縦樋か?
こちらは北面。
開口部は少ないものの正方形グリットの連続でローコストをねらったのか。
樹木が上と伸びる中、縦横に幾何学模様が続く外観が新鮮でした。
校内道路に伸びる庇。
何度みてもダイナミックです。
清家清氏は日本戦後の住宅普及を引っ張ったお方です。
工業製品を数多く使い、少ない材料でローコストを目指す。
清家清氏、広瀬鎌二氏、池辺陽氏、増沢洵氏の機能主義建築家4名は
学生の自分には眩しい存在だった。
清家さんの代名詞は『移動畳』である。
ドキュメンタリーでは
『私の家』で大開口間口から縁側を越え、庭先に畳をだして清家さんが語っていた。
学生時代散々聞いた、内と外の曖昧な空間とはこのことなのか。
限りなく少ない材料で外部へ開いた清家さんもアウトドア派だったのかも。
こちらは向かいにある事務所棟の鳳龍会館。
こちらも講堂同様にステンドグラスが使われておりました。
切り妻屋根のRC造。
平屋建てで低く抑えられておりどこか住宅のようなスケール感です。
横に伸びる低く抑えられた立面ラインが綺麗でした。
講堂同様に切妻面外壁はレンガ貼り。
外部床スラブは片持ちにより建物の浮遊感がありました。
床下除くと設備配管も見え容易に設備メンテも行えるなと。
その後は校内を散策。
母校の斜面地キャンパスとは違ってフラットキャンパスを
これほど歩いたのは初めての体験でした。
校内にバイクで乗り付け校内は自転車で移動。
まさにピュアなキャンパスライフ、
自分の憧れなのか何なのかしりませんがひとりしみじみと哀愁漂いました。
最後に1枚
『とりあえず、、』
(本当にどうでもいいが映画『私をスキーに連れてって』で写真を撮る時のカメラマンの小杉君の名言『とりあえず、、』。よくよく考えると自撮り棒の普及により写真を撮ってくださいとか言われなくなった。はい、チーズなんてもはや死語になりつつあるな。。7:40秒当たりの一言になります)